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神戸地方裁判所 昭和34年(ヨ)216号 判決 1959年10月31日

債権者 林崎兼子

債務者 笹屋株式会社

主文

債務者が昭和三十四年五月一日付を以て債権者に対してなした解雇の意思表示の効力は本案判決の確定に至るまで仮に停止する。

債務者は債権者に対し、仮に金六万九千円並びに昭和三十四年十一月以降本案判決の確定に至るまで毎月二十五日限り金一万千五百円宛を各支払うべきことを命ずる。

訴訟費用は債務者の負担とする。

(注、無保証)

事実

債権者代理人は主文第一項乃至第三項同旨の仮処分命令を求めその理由として、債務者は羅紗販売を営業とする株式会社であり、債権者は債務者に期間を定めず雇われて昭和三十一年二月以来会計係として元帳の記入・銀行よりする資金調達に関する書類の作成等の事務に従事していたのであつて、一日の就業時間は午前九時から午後六時までと定められていたところ、債務者は昭和三十四年五月一日突如債権者に対し債務者の都合によるものとして解雇する旨口頭通告した。しかしながら債権者は入社以来毎日所定就業時間中誠実にその職務を遂行してきたのであり、その間前日に終電車で帰宅しなければならない程の残業をした際稀に十分乃至二十分位始業時に遅刻したことがある以外には遅刻したこともあまりなかつたのであり、同じ会計係で現金関係帳簿記入に従事している井橋並びに銀行取引に関する帳簿記入担当の森下等二人の女子従業員、その他の同僚との折合も特に悪いとの事情もなく、むしろ協力的とも言い得る程であり、その他何等解雇に値する相当な理由も存しないから債務者の債権者に対する前記解雇の意思表示は解雇権の濫用として無効であつて債権者・債務者間の雇傭契約は従前通り継続しているものというべく、従つてまた債権者は右雇傭に基く賃金請求権を有するところ、本件解雇の意思表示のなされた当時における債権者の債務者より支払を受けていた三十日分の平均賃金額は金一万千五百円であり、債務者会社における賃金支払日は毎月二十五日その月分を支払うべきものと定められているものである。そして債権者は債務者より受ける右賃金を唯一の資としてその生計を営み得ているものであるから、前記解雇の無効を確定する本案判決に至るまでの間においても引継き従前通り前記賃金相当額を取得するのでなければ到底その生活を維持することができない情況にあるから申請の趣旨同旨の仮処分命令を求めると陳述し、債務者代理人の主張につき、債務者がその主張の金額を解雇予告手当として債権者に提供したが債権者がその受領を拒絶したことは認める、債権者の業務上の成績が不良との事実は否認すると述べた。(疎明省略)

債務者は代理人は債権者の本件仮処分命令申請を棄却するとの判決を求め答弁として、債権者が債務者会社に雇はれて会計事務に従事していたこと、債務者が債権者に対し債権者主張の日に口頭で解雇の意思表示をしたことはいずれもこれを認める。

債権者には債務者会社におけるその就業状況に関し次に掲げるような会社にとつて不都合な事跡があつたのである。すなわち、

一、元来債権者の債務者会社における事務の内容は他の女子雇人の作成した出金伝票及び入金伝票に拠つて振替伝票を作成し、これを十日若くは十五日に一度債務者会社の会計計理顧問新家計理士の事務所に持参し同計理士から事務処理上の指導を受けることであつたのであるが、債権者は新家顧問の会計指導に遵はず、大野社長としても債権者担当の会計事務につき責任が持てない状況にあつたこと。

二、債権者が債務者会社社長大野金三郎の命令を従順に遂行しない等雇人として適当に仕えないこと。

三、債権者が他の二十五名の従業員との折合が悪く、これは会社業務運営を専ら各店員の自治に委ねこれによつて会社の業績の隆盛を図らんとの債務者会社の経営方針に反するものであること。

四、正当な理由なくして屡々出勤時刻に遅刻すること。

等である。そこで以上の事実はいずれも債務者従業員に対する就業規則所定の解雇事由のいずれにも該当するものではなく、従つて就業規則の適用としてではないが、なお会社の経営権の行使として債権者に対しその三十日分の平均賃金額相当の金一万千五百円を解雇予告手当として提供して前記解雇の通告をしたのであるが、債権者はその受領を拒絶したのである。従つて債権者に対する解雇は有効であるから本件仮処分命令申請は失当であると述べ、尚債権者の主張に対し、債務者はその業務が繁忙でなく通常は特に債権者に就業時間外の残業をさせることはない。但し稀に時間外の勤務をなさしめることがあつたのは認めると陳述した。(疎明省略)

理由

債務者が羅紗販売を営業とする株式会社であり、債権者が債務者に期間を定めず雇傭されて昭和三十一年二月以来債務者会社において労務に従事しているものであることは債務者が明にこれを争はず自白したものと看做すべきところであり、債務者会社において債権者の従事している仕事の内容が経理関係書類の作成記帳の事務であること並びに昭和三十四年五月一日当時債権者が債務者より支払を受ける三十日分の平均賃金額が金一万千五百円であることはいずれも当事者間争なく、また債務者会社においては債権者等従業員につき一日の就業時間が午前九時から午後六時までと定められていたこと並びに債権者に対する賃金支払方法が毎月二十五日に当月分を支払うべきものと定められていたことはいずれも債務者が明にこれを争はず自白したものと看做される。そして債務者が債権者に対し昭和三十四年五月一日口頭で解雇の意思表示をなし且右解雇通告に際し債権者に対し解雇予告手当の趣旨で金一万千五百円を提供したが債権者がその受領を拒絶したことは当事者間に争がないので右解雇の意思表示(以下単に本件解雇と呼称する)の効力の存否について考察する。

成立に争ない乙第一号証によれば、債務者会社においてその従業員の就業に関し適法に制定された就業規則の存することが疎明せられ、債務者代表者本人訊問の結果によれば債務者会社の事業場の単一であることが疎明せられるから右就業規則は使用者たる債務者とその従業員全部につき一律に普辺的に適用されることが自ら明である。そして前記乙第一号証によれば、右就業規則はその第二十一条、第二十二条但書、第二十三条但書第三十九条において従業員一般につきその解雇事由として具体的な七個の行為類型と一の包括的条項(就業規則第二十二条但書)を定め、その第二十二条、第二十三条各本文並びに第三十七条第四号を以て解雇の手続方式を夫々定めていることが疎明せられるところ、債務者は本件解雇が右就業規則のいずれの条項にも依拠しない企業経営権の行使としてなされたものと主張するので先ず本件解雇の効力の存否と前記就業規則との関係につき按ずるに、およそ就業規則は企業において常時十人以上の労働者を使用する場合その使用者が職場秩序の維持に必要なる規律並びに賃金、就業時間その他の労働条件の基準を定め、これを内容として一定の手続を経て作成すべきことを法律を以て強制せられているのであつて、その制定作成は専ら使用者が単独にその主体となつて一方的になすところであるけれども、かくして一旦制定せられた就業規則は当該企業における労使双方に普辺的に妥当する労働法秩序の一環を構成する一の法律上の制度をなすものであつて、それ自体使用者の意思から独立した客観的存在となるものと解せられ、就業規則を遵守しなければならずまた誠実に規則所定の規範実現に努めなければならないという地位におかれることにおいては使用者も従業員も全く平等無差別であつて、かかるものとしての就業規則に従業員を解雇すべき事由を定めた場合は解雇が労働者にとつてはその労働契約関係を終了消滅せしめるものとして最も重大な待遇の変更であるが故にその解雇事由はまた最も重要な労働条件をなし、従つて就業規則における解雇条件に関する規定は労働条件の基準をなす規範であるといわなければならない。そして法が労働条件に関し各種の基準を定めるとともにその中の一定事項に関するものにつき就業規則にその定めをなして従業員に対するこれが周知方を強行的に命ずる所以は、労働契約関係の内容の合理性を客観的に保障し、また労働契約関係を常に明確ならしめることにより、これが安定を確保し以て労働者を保護せんとするにあるのであるから、就業規則に個別的、具体的に解雇の理由となるべき行為類型若くは事実関係の態容を定めながら使用者が具体的場合において右事由の存否とは全く無関係に従業員を解雇することを容認するが如きは就業規則を法律上の制度とした前示のような趣旨、目的を全く没却せしめるに帰するというべきものであるから、いやしくも一旦法定の手続要件を具備して制定存在するに至つた就業規則中に解雇の基準が規定せられている限りは使用者の従業員に対する解雇権の行使は、よしそれが民法の原則によれば当該労働契約関係が雇傭契約の面においては期間の定のないものとして雇傭主に一方的解雇の自由が認められる場合であつても、労働関係としては右就業規則所定の解雇基準に該当する場合に限つて許されるのであつて、右基準の適用によらない解雇権の行使は許されないところと解さなければならない。そして債務者が本件解雇をなすにつき全く債務者会社の前記就業規則に準拠するところのなかつたことは債務者の自認するところであるから右解雇は右就業規則によつて既に規範的にその行使を制限せられている解雇権を債権者に対し行使したものとして濫用というべく許されないところである。

尚債務者代理人は就業規則に準拠せずと雖も会社の経営権の発動としてはなお有効なる解雇をなし得べく、本件解雇もその例に該当するものとして有効なりとの趣旨に解すべき主張をなすので更にこの点につき審究する。

成立に争のない乙第二号証、証人新家勝夫の証言、債務者代表者本人訊問の結果並びに弁論の全趣旨を綜合すれば、債務者会社はさきに大野金三郎が個人経営していた羅紗販売の営業を母体として昭和二十五年設立せられたものであつて、設立以来前記大野が取締役社長として二十三名の従業員を使用して羅紗卸売の営業を経営して来たのであるが、株式会社設立の前記の様な経緯及び設立後の会社の規模も小さいことに照応してその業務の運営従業員の統制等については大野金三郎の個人的信条、意思、意見、好悪が濃厚に反映し、個人企業的色彩を以て貫かれているところ、右大野社長は債務者会社における従業員たるものは、その対会社関係については相対立する労働者と使用者との関係としてこれを意識することを排し、従業員各自がすべて自ら会社の経営者たるの自覚と責件を負担し専ら会社利益の増進、実現を心掛けるべきことを以て一切の執務行動の根本指針となすべしと確信し、且従業員等に対しても平素これが遵守履践を要望してきたところ、債務者はその就業態度が常に大野社長の右の様な信条に背馳し、とかく専ら労働者たる立場に立脚し、労働者たる意識に基いてのみ行動することが認められるとして、いわゆる社風に合はないものとして債権者を解雇するに至つたことが疎明せられ、成立に争ない甲第一号証、債権者本人訊問の結果(第一回)並びに前記新家証人の証言及び債務者代表者本人訊問の結果によれば、債務者には債務者会社に勤務中会計担当者としての事務処理に関し特段の不当な取扱をなしたとか、その他不正を犯す等の事跡は何等存しなかつたことが疎明せられるのであるが、およそ或る事業経営のため二人格間に雇傭契約が締結せられた場合、これに基き雇入れられた一方当事者が当該事業遂行に必要なる労務を給付することに関し事業主体との間に生ずる関係は正に労働契約関係に外ならないのであつて、それ以外に当該事業主体と労働者との間に右労働契約関係を超えて身分的服従隷属の関係が生ずるものでなく、いわんや当該事業主体が法人である場合その代表者たる特定個人の人格的支配の如きは認め得ざるところであり、却つて労働契約を媒介とし若くはこれに藉口して身分的服従隷属の関係を作ることこそ、当該事業の規模の大小、型態の如何を問はず正に近代法秩序の排斥して容認しないところであつて、労働契約関係は飽迄平等対等者間の明確なる法律関係たるに終始すべきものである。従つて当該事業のその時々における経営担当者の個人的信条、期待の如きものをして労働関係の具体的内容を直接規定する機能を発揮せしめたり、或は右経営担当者の個人的主観に従い一方的に元来法律関係として存し且法律関係でのみあるべき労働奉約関係を家族的、親和的、情誼的関係に置きかえんとする如きことは許るされないところといわなければならないのであつて、債権者、債務者間にあつてもその法律関係につき大野社長の様な信条、期待を以てこれを律すべき基準となし、債権者の労務給付につき客観的に特段の欠陥もなく、また就業規則に予め定められた解雇事由に該当すべき行動もないに拘らず唯専ら大野社長の信条等に合致しないことを理由として債権者との労働契約関係を廃棄消滅せしめるため会社経営権を行使することは到底容認されないものといわなければならない。

以上に説示したところによれば本件解雇の意思表示は爾余の点の判断をまたずその無効なることが明であつて、債権者、債務者間の冒頭説示の内容の労働契約関係はなお存続し債権者は債務者に対し本件解雇の意思表示のなされた以後についても右労働契約上の賃金請求権を有するものというべきである。

そして債権者が現在独身であつてその生活は両親の宅に起居し同一世帯を営んでいるとはいうものの、債権者自身の生活まで全面的に両親の経済的負担において維持することは到底期待しえない状態であつて、債権者が労働によつて得る賃金がその生計の資の主要な部分を構成することが債権者本人訊問の結果(第一回)によつて疎明せられ、一方債務者としては本件解雇を以て債権者を排除することによつて会社事務の処理、殊に経理会計事務の遂行、その他会社の業務運営に格別の障碍、不利益を蒙らず営業成績は順調に達成せられていることが債務者代表者本人訊問の結果によつて明であつて、このような債権者の生活において賃金収入のもつ意義、その必要度、債務者会社運営の状況及び解雇無効確認請求の本案訴訟の判決確定に至るまでにはなお数ケ月以上の期間の経過が予測せられること並びに債務者が本件解雇を決定するに至つた前示のような事情等を考え合わせると、本件解雇の意志表示につき本案判決確定に至るまでその効力を停止し、且つその間債務者をして債権者に対し前示平均賃金額の限度において賃金を仮に支払はしめるのが債権者・債務者間の継続する紛争状態において双方の地位の公平を実質的に維持するため相当と解せられる。

ところで債務者が本件解雇の意思表示をなすに際し解雇予告手当として金一万千五百円を債権者に提供したけれども債権者はその受領を拒絶したこと前示のとおりであるから、右金額は仮処分として債務者に仮払を命ずべき金額範囲に斟酌せらるべきものでない。

次に右仮払の方法としては債務者の債権者に対する賃金支払が毎月二十五日当月分を支払うべきものと定められていたことは前示のとおりであるから、仮処分としては既に履行期の到来した昭和三十四年五月分以降同年十月分までの前記平均賃金額の割合により算出した合計金六万九千円については一括して即時支払うべきことを命じ、同年十一月以降毎月二十五日限り金一万千五百円宛の支払をなすべきものと定める。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 日野達蔵)

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